エピローグ あなたの世界はこれから

ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。「ありがとう」を、教える側の人間が、教えられる側の人間に対して書くのは、ちょっと変に見えるかもしれません。それでも僕は、素直にそう思っています。答えをほとんど書かないまま進めるドキュメントを、それでも閉じずに、ここまで読んでくれた、というのは、たぶん、あなたが本書の距離感、つまり、答えではなく観察と問いを置いていくつもりで書く、というあの距離感に、自然に付き合ってくれたから、なんじゃないかなと思っているからです。

最後にひとつだけ、別れの場面で書いておきたいことがあります。少し覚悟を決めて書くと、僕はここまでで、ここから先はあなたが歩く番です。これは突き放しているわけでも、冷たいわけでもなくて、本書の最終章で書いた話の、当然の帰結として、こうなるんです。あなたの世界はあなたが作る、と書いてきました。だとすれば、その作業に、僕が同行することは、できないんですよね。同行した瞬間に、それは「あなたの世界」ではなくて、「僕とあなたの世界」になってしまいます。それは、あなたの世界とは、別物です。

僕は本書のなかで、できるだけ正直に、自分の経験と、いま見ている景色と、いま立っている問いを、あなたに渡してきたつもりです。GPA 1.9 の話も、不登校の朝の話も、ふたりの先生に拾ってもらった話も、研究室で学生さんに伝えたい話も、書きました。書きながら、これは本気で書いてよかった、と何度か思いました。それでも、書き終わった瞬間に、これは僕のものではなくなります。読んだあなたのものになります。あなたが拾うものを拾い、捨てるものを捨て、忘れるものを忘れていい。僕の手は、ここでもう離れます。

本書を読み終えたあと、たぶん、いくつかの問いが、あなたのなかに残っているんじゃないかと思います。お勉強と学びの話を読んでみて、自分はどっちに寄っているのか。18歳のスナップショットを、これからどう扱おうとしているのか。「楽に生きたい」と言うとき、その「楽」が何を指しているのか、自分の言葉でほどけるか。動けないな、と感じるとき、それが人の目のせいなのか、自分への「ちゃんと」のせいなのか、ほかの何かなのか。複利の元本は何で、どこに積み増していくのか。何の役に立つかわからないけれど面白い、と感じることに、いま、時間を使えているか。AI を、ディレクターとして使っているか、それとも雑なマネージャーとして投げているか。自分の周りの先生や先輩や大人を、どんなふうに使い倒すか。自分が見ている世界は、自分のどんな見方が作っているのか。これらの問いに、答えは書いていません。代わりに、あなたの手元に、ぜんぶ残してあります。これらをどこに持っていくかは、あなたが決めることです。すぐに答えを出そうとしなくてもいいですし、答えなくていい問いとして、机の上に置いておいてもいい。何年か後に、ふっと立ち上がってくる問いとして、待ってもいいです。あるいは、いますぐ誰かに話して、答えを一緒に作りはじめてもいい。どれも、あなたの選択です。

別れの場面で、せめてひとつだけ、お土産のようなものを渡したいと思っています。これは正解ではないですし、正解として渡すつもりもありません。それでも、僕があなたと過ごしたこの本のなかで、いちばん残したい一文があるんです。「あなたの元本は、まだ増やせる」というのが、その一文です。これは、本書をここまで読んできてくれたあなたに、いちばん渡したかった言葉でもあります。不登校だったあなたも、低偏差値ルートを通ったあなたも、いま GPA が低くて落ち込んでいるあなたも、研究室でラベルが貼られかけているあなたも、あなたの元本は、まだ増やせます。これは数学的にそうなる、というだけのことなんです。複利は、いつ始めても効きはじめるからです。それから、これまで積んできた「学校で測られる元本」だけが、あなたの元本ではありません。学校が測ってくれなかった元本も、これからあなたが自分の手で蒔いていく種も、ぜんぶあなたの元本になります。むしろ、これからあなたが自分の手で蒔いていく種のほうが、あなたのこれからの世界をはるかに大きく規定するんじゃないか、と僕は思っています。これが、僕があなたに渡せる、最後のお土産です。「だからいますぐ動こう」とは書きません。動くか動かないか、いつ動くか、何を動かすか。それも、ぜんぶあなたが決めることだからです。

それから、書き終わってあらためて感じていることを、もうひとつだけ、添えておきたいんです。本書のなかには、「自分の輪郭を描く」「仕組みを組む」「複利の方向を選ぶ」みたいな、能動的な言葉がいくつも出てきます。これらが成り立つ前提を、よく見てみると、わりと特殊な条件のうえに乗っています。共同体に組み込まれて生きる、家業を継ぐ、土地に縛られる、宗教が日々を形作る。こういう生き方のなかでは、「自分の人生をどう設計するか」という問いは、そもそも成立しません。だから、いまあなたが、自分の庭を自分で世話できる立場にいる、ということ自体が、誰かが先に整えてくれた土のうえに、たまたま乗っかっている、ということでもあるんです。親、祖父母、社会のなかの大勢の人、歴史のなかの何世代もの人たちが、いろんな選択を積み重ねてくれて、その結果として、いまのあなたが、自分の庭の世話を、自分でできるところに立っています。これは、ぜんぜん当たり前のことではありません。本書のなかでは直接書きませんでしたが、書き終わってみると、この感覚を、最後にひとつだけ置いておきたかったんだ、と気づきました。受け取った土のうえに、何を蒔くか、どう世話をするかは、あなたが決めることです。それは確かにあなたの庭で、それを支えている土は、あなただけが作ったものではない。両方とも本当だ、というところで止めておくのが、たぶんちょうどいい温度です。

本というのは、書き手と読み手のあいだの、ちょっと不思議な距離感を持った出会いです。文字を通じてだけ、ここまで一緒に来てくれた、というのは、僕の側からするとそれだけで嬉しいことです。このあと、あなたとどこかで顔を合わせることがあるかもしれませんし、ないかもしれません。それは、お互いに、また別の話として、楽しみにしておきましょう。僕の側からは、あなたの世界が、あなたのいい感じに、あなたのペースで、これから組み上がっていきますように、と、ぼんやり願っています。プロローグで書いた庭の比喩でいうと、あなたの庭が、あなたの土と季節に合った植物を、あなたのペースで育てていきますように、というほうが、たぶんもっと近いです。咲く花も、咲かない花も、両方ぜんぶ、あなたの庭です。

ここから先は、あなたの世界です。


古池謙人