第6章 学習は複利だ

ちょっとした思考実験から始めます。仮に、人の学ぶ速さに差があるとして、いちばん遅い人を0.1、いちばん速い人を1.0、平均的な人を0.5くらいとします。実際にこんなにきれいな数字で表せるわけではないので、これは話を進めるための仮置きだと思ってください。では、同じだけ時間が経ったとき、平均的な人は、いちばん遅い人の何倍くらい先まで進んでいるでしょうか。

直感で「5倍くらい」と思った人は、線形のモデル(足し算でまっすぐ増えていくイメージ、と思ってください)で考えています。1日に0.5進む人と、1日に0.1進む人がいて、進んだ距離を比べると、何日経っても5倍のままです。これは正しいです。線形ならば、ずっと5倍のまま。

ところが、学習には、線形とは違う性質があります。それは、昨日学んだことが、今日学ぶことの土台になるという性質です。今日学ぶことが、明日学ぶことの土台になり、その土台のうえで、また新しいことを学ぶ。これを毎日繰り返すと、1日に積める量は、昨日までに積み上げた量に比例して増えていきます。雪だるま式に増えていく仕組み、と言ってもいいですし、お金の世界では「複利」と呼ばれている仕組みでもあります。経済の文脈では、利息にも利息がついて、長期で爆発的に育つあれです。学習も、わりと近い構造で動いている、というのが、僕の感覚です。

このモデルで、さきほどの問いを計算し直してみると、ちょっと意外なことが起こります。複利モデルでは、この倍率そのものが、時間とともにどこまでも開いていきます。無限大に向かっていくのです。「お、終わった」と思った人がいるかもしれません。「僕は0.1側だ、もう詰んでる」と。ちょっと待ってください。これは絶望の話ではありません。絶望に見えるのは、「追いつく」をゴールにしているからです。追いつくことをゴールにすると、複利の世界では、確かに永遠に追いつけません。でも、追いつくことをゴールに設定しているのは、そもそも誰だっけ、という問いを立てると、話が変わってきます。

複利には、もうひとつの性質があります。早く始めるほど効きますが、いつ始めても効きはじめる、ということです。これがこの章の核です。

複利は、はじめの数年は何も起きていないように見えます。月3万円を年利7%で積み立てる、という第3章で書いた例で言えば、最初の1年で増えるのは、たぶん1万円とか、そのくらいです。「これだけかよ」と感じます。2年目もそれほど劇的には変わりません。3年目もそうです。それでも、10年ほど経つと、1年分の利息が、1年分の積立額に追いついてきます。30年経つと、積み立てた元本の合計は約1,080万円になりますが、利息の合計はそれをはるかに超えて、総額は約3,500万円になります。これが、複利の効き方です。後半でぐっと効く、というのが、複利の特徴です。

これは、学習にもそのまま当てはまる、と僕は思っています。何かを学びはじめた最初の半年から1年くらいは、ほとんど何も起きていないように感じます。理解は浅いですし、まだ何にも繋がりません。読んでいる本の内容を、自分の言葉で誰かに説明することもできません。「自分、ぜんぜん進んでないな」と感じます。それでも、それは、複利が効く前のフェーズにいるだけ、ということが多いんです。たとえば、英語を10単語だけ知っている人が、新しい1単語を覚えるときと、すでに1,000単語を知っている人が新しい1単語を覚えるときとでは、後者のほうが、その単語をいろんな文脈に結びつけて覚えられるので、ずっと深くて、ずっと早く定着します。学びは、すでに自分のなかにあるものと、新しく入ってくるものとの「結びつき」の形で積み上がっていくので、最初は何も結びつかないけれど、積み上がるほど、結びつき先が増えて加速していく、というふうに進みます。だから学びの初期は、結びつくべき相手がまだ少なくて、何も起きていないように見える。これはふつうのことです。

複利が効きはじめると、急に、いろんなことが繋がりはじめます。1冊の本を読んで、その内容が3年前に読んだ別の本と結びつきます。研究で書いた式が、学部時代に挫折した別の科目の話と、急に繋がって見えます。先輩の何気ないアドバイスが、半年前の自分の失敗とぴたりと符合します。このフェーズに入ると、同じ時間を投じたときに学べる量が、明らかに増えていきます。これが「複利が効きはじめる」ということです。問題は、このフェーズに入るのに、どれくらい時間がかかるか、です。僕の体感では、本気で学びはじめて、2〜3年。早ければ1年、遅ければ5年。これは個人差が大きいです。早いか遅いかは、これから話す「元本」の量によるところが大きい、と感じています。

複利の話をすると、必ず一緒に出てくる概念が、元本です。元本(がんぽん)というのは、もともとの元手のことで、複利を生み出す「土台のお金」と思ってもらえれば近いです。複利の効き方は、元本の量に比例します。月100円を年利7%で30年積み立てても、雀の涙ほどにしかなりません。月3万円を同じ条件で30年積み立てると、3,500万円になります。元本が違うと、複利の効きが桁違いになるわけです。

学習でも、同じことが起きます。何かを学びはじめるとき、人はそれぞれ「元本」を持ち込んでいます。それは、その人がこれまでの人生で、無自覚にせよ自覚的にせよ、積み上げてきたものです。中学高校でちゃんと英語を勉強した人は、論文を読みはじめるときの語学の元本が厚いですし、物理や数学が好きで、ずっと考えてきた人は、抽象的な議論を扱うときの形式化の元本が厚い。ゲームでチームを組んでいた人は、共同作業をするときの役割分担の元本が厚いですし、ロゴや絵を描いていた人は、プレゼンでスライドを作るときの視覚化の元本が厚い。アルバイトでクレーム対応をしてきた人は、研究室で先輩や教員と話すときの対人交渉の元本が厚い。そんなふうに、いろんな元本が、いろんなところに積まれています。

ここで大事なのは、元本は学校の評価軸とは別に積まれている、ということです。偏差値も GPA も、ある時点で測れる元本の一断面でしかありません。学校の評価軸で測れる元本は、実は、人が持っている元本のごく一部です。

僕の例で言うと、僕は中学校までお勉強の元本はほぼ積めませんでした(中学校はほぼ不登校でした)。高校(工業高校)では、欠席こそかなり多かったものの、成績はよいほうでした(評定は4.2くらいです)。ところが大学に進んでからは、お勉強の評価軸のうえで、低めの数字を持ち続けました。配属時の GPA は1.9でした。それでも、その時期に、違う種類の元本が積まれていました。8歳でオンラインゲーム、9歳から FPS(一人称シューティングゲーム)、自分でゲーム用のサーバーを立てて運営、ロゴデザインで小遣い稼ぎ、ロゴ作成のためのデザインソフト習得、そしてアマチュアの大会で2位、その流れでプロのチームのコーチ。これは「学業の元本」では一切ありませんが、大人になってから複利が効きはじめたときに、これらの元本がぜんぶ効きました。サーバー運営の経験は、研究室のサーバー管理を引き受けるときに役立ちました。デザインの経験は、論文の図やスライドを作るときはもちろん、図をどう設計するかという研究上の判断にまで効きました。FPS のチーム経験は、共同研究のチームを組むときに、誰が何をやれば最もパフォーマンスが出るかを判断する感覚として効きました。プロチームのコーチ経験は、いま研究室で学生を指導するときの「教え方の引き出し」として効いています。

これは「ゲームをしていてよかった」みたいな話ではなくて、学校が測ってくれない元本も、ちゃんと元本として積まれている、というもっと一般的な話です。僕はいま教員をやっていて、研究室に新しい学生さんが来るときに、その人がこれまで何の元本を積んできたかを知ることに、けっこう時間を使います。GPA では見えない元本があります。それを聞き出して、どこに複利を効かせたら早く複利が効くフェーズに入れるかを考えます。これは僕の指導スタイルの核に近いものです。

ただ、すべての元本が、自動的に複利を効かせてくれるわけではない、というのが、もう一段の話です。複利が効く形にする、という、追加の作業がいるんです。元本があっても、それを取り出して使える状態にしていなければ、次の場面で活用できません。本を100冊読んでも、その内容を自分の言葉で説明できなければ、そこから何かを生み出すことは難しいですし、プログラミングで100個のプロジェクトをやっても、毎回ゼロから書き直していたら、みっつめ以降の効率はあまり上がりません。

元本を複利が効く形にするコツが、いくつかあると感じています。ひとつめは、やりっぱなしにしないこと。何かをやったら、やった証拠を、自分があとで見返せる場所に残しておく。これはそんなに大層な話ではなくて、論文を読んだら3行のメモを取る、プログラミングのプロジェクトを終えたら、説明書きのファイル(プログラマーの世界では README と呼びます)に「何を学んだか」を書いておく、授業で印象に残った話があったら、その日のうちに3行で書きとめる。これくらいでいいのに、これをやらない人がほとんどです。メモは、半年後の自分のためにあります。半年後の自分は、その日の感動も、そのときの気づきも、ほとんど忘れています。3行のメモがあれば、その3行を読んだ瞬間に、その日の感覚の何割かが戻ってきます。過去の自分の発見を、未来の自分が再び使える状態にしておく、ということです。

ふたつめは、同じことを2回目にやるとき、少しだけ工夫を加えること。1回目の経験を完全コピーして2回目をやると、何も上積みになりません。1回目で見えた粗を、2回目で1個だけ直す。これだけで、2回目の経験は1回目を踏まえた経験になります。3回目はさらに別のことを直す。これを続けると、5回目の自分は、1回目の自分とは別人になっています。毎回ゼロから始める人と、毎回1個だけ前回とは違う場所に手を入れる人とでは、3年後にかなりの差がつきます。これも複利です。

みっつめは、経験を、次に使える「型」として整理しておくこと。「型」というのは、その経験のなかで本質的だった部分を取り出して、別の場面でも使える形に抽象化したもののことです。たとえば、論文を1本書いたとして、書き終わったあとに、「自分はどういう順番で考えて、どこで詰まり、どこで進んだか」を、次に書くときに使える形で整理しておく。これがあると、1本目では最初の数週間かかった立ち上がりが、2本目では数日で済むようになります。「型」は、最初は粗くていいです。粗い型をひとつ持っているだけで、何も持たない人とは別世界に住むことになります。型は、使い続けていくうちに磨かれます。磨かれた型は、もっと別の場面に転用できるようになります。これも複利です。

さらに言うと、こうした「型」は、分野を横断します。論文を書く型は、レポートを書く型に転用できます。コードのバグを切り分ける型は、研究室の機械が動かないときの切り分けにも使えます。アルバイト先のクレーム対応で身につけた型は、研究の発表で質問にどう答えるか、という場面でも効いてきます。横断できる型をひとつ持っていると、新しい分野に入ったときの「立ち上がり」が、桁違いに早くなります。これも、やりっぱなしにせず、工夫を加え、整理しておくことで育つものです。

ここで、複利についてもうひとつ、書いておかないとフェアじゃないことがあります。それは、複利は、方向を間違えれば、その間違った方向にも同じ強度で効く、ということです。

これは、お金の話だと、ちょっと想像しやすいかもしれません。年利7%で30年積めば3,500万円になる、と書きましたが、年利マイナス3%で30年放っておけば、元本はだいたい4割にまで痩せます。プラスとマイナスの両方向に、複利は同じ強度で効きます。

学習でも、これがそのまま起きます。間違った姿勢で楽器を10年練習し続けると、その癖を矯正するのに、また同じくらいの年数が要ることがあります。間違った思考のパターンで10年仕事をしてきた人は、思考のパターンを直すのに、また何年もかかります。「読みにくいコードでも動けば OK」というスタンスで5年プログラミングを続けた人と、「動くだけでなく、人が読めるコードを書く」というスタンスで5年やってきた人とでは、5年後の伸びしろが、ぜんぜん違ってきます。健康を放置していると、最初の1年は何ともなくても、10年経つと、若いときには起きなかった不調が連鎖的に出てきます。人間関係を粗末にしていると、最初は気にならなくても、いずれ「困ったときに相談できる人」が消えています。これらはぜんぶ、複利の働きです。いい方向に積めばいい方向に、悪い方向に積めば悪い方向に、それぞれ同じ強度で、時間とともに加速していきます。

ということは、複利の話には、もうひとつの問いが、ついてきます。「では、どの方向に複利を回すか」、という問いです。これがけっこう厄介で、20歳のあなたが、5年後・10年後・30年後の自分が何を大事にしているかを、いまの時点で正確に知ることは、原理的に難しい、という事情があります。「自分は研究者になる」「会社員になる」「起業する」「アーティストとして生きる」、これらの選択肢のうち、自分にいちばん合うものを、20歳の時点で一発で当てることは、ほぼ無理です。当てたつもりでも、5年経つと変わっていることがざらにあります。これは決断力の問題ではなくて、20歳の人間がまだ自分のことを十分に知らない、というだけの話です。

これは、プロローグで書いた庭の話に戻ると、わりと納得感のある話です。庭で何が育つかは、土と気候と、本人がそのとき何を蒔いたかで決まります。20歳の自分は、自分の土と自分の気候を、まだほとんど観察できていません。観察できていないものに合わせて30年分の作付け計画を立てるのは、無理があります。

これに対して、僕がいま手元に持っている答えは、「方向を一発で決めようとせずに、あとから方向を変えても流用できる種類の複利を選んでおく」というものです。具体的には、特定スキルだけにオールインするのではなくて、メタスキルを厚くしておく、という方向です。

メタスキルというのは、別のスキルを身につけるためのスキルのことです。学び方、休み方、人と繋がる作法、問題の見つけ方、内省の仕方、判断の見直し方、長文を書く力、議論をする力、自分の感情を言語化する力。これらは、自分が将来どんな分野に行くにしても、たいてい流用できます。たとえば、20歳で「自分は研究者になる」と決めて、研究のスキルだけを磨いていたとします。30歳で「やっぱり別の道」となったとき、研究固有のスキルの何割かは、使えなくなります。一方で、「学び方そのもの」「自分の不便さに合った仕組みを組む力」「人と一緒に動く力」は、別の分野に移っても、ほぼそのまま使えます。これは、いままで選んできた道に縛られにくい、方向を変えても資産が消えにくい、という性質です。

具体的なスキルが要らない、と言いたいわけではありません。両方必要です。ただ、優先順位として、若い時期にはメタスキルを厚くしておくほうが、複利の方向を間違えたときの修正コストが小さくなる、ということは、書いておきたかったんです。これは僕がいま、研究室の学生さんを見ていて、強く感じていることです。同じ「研究室で4年過ごす」でも、特定の研究テーマを追いかけるだけで終わる人と、その過程で「自分の学び方の癖」「自分が詰まるポイント」「自分にとっての相棒の見つけ方」を持って卒業する人とでは、その後の伸びがぜんぜん違ってきます。後者のほうが、何になっても伸びていきます。研究室で僕がいちばん渡したいのは、後者のほうの蓄積です。

それから、もうひとつ。複利を回す素材として、認知資源そのものを増やす投資、というのもあります。睡眠、運動、食事、人間関係、こういうものに時間を使うことです。短期では、やりたいことが何も進んでいないように見えます。でも実は、ここに投資しておくと、あとで「やりたいこと」ができたときに、動かせる燃料の量が変わってきます。逆に、若いときに容量を削っていると、30代以降に頭打ちになりやすい、というのが、僕が大学院時代に削った睡眠を、いま全力で取り戻している身としての率直な実感です。

最後に、章の最初の話に戻ります。複利は、早く始めるほど効きますが、いつ始めても効きはじめます。「もう20歳だから手遅れだ」と感じる人がいるかもしれません。そう思いそうになったときは、「自分にはこれからの人生が、まだ60年くらいあるよな」と数えてみるといいかもしれません。月3万円・年利7%の例で言えば、30年で3,500万円でした。60年続ければ、その約8倍、3億円のオーダーにまで増えます。これは数学的にそうなります。やるかやらないか、だけです。複利を学習に翻訳すると、いま、ぜんぶの元本があなたのものだ、という話になります。学業で積んだ元本も、学業以外で積んだ元本も、ぜんぶです。それを複利が効く形にしておけば、ここから先の数十年で何が起きるかは、誰にも予測できません。少なくとも、「もう手遅れだ」というセリフだけは、数学的にはあり得ない、ということになります。これは励ましというより、複利という関数の性質の話として、書いておきます。同じ性質が逆方向にも効くことだけは、忘れないでもらえると嬉しいです。